僕は戦国時代の小説が好きでよく読むのですが、その中で高い確立で登場する設定があります。
それは男色(だんしき、だんしょく)、もしくは衆道(しゅどう)。
え?何のことかわからない?
要するにBL=男同士の関係、ゲイ・ホモのことです。
現代でBLは立派なジャンルの1つとして確立していて、熱狂的なファンに支えられていますね。
ところが昔の日本ではBLは常識というか、戦国時代においては武士のたしなみとまで考えられていたのです。
みんな知ってる有名な武将も男色を経て立派な地位と名誉を獲得しているんですね。
ちなみに、最近はアプリやゲームで戦国武将がイケメン化され、あたかも若い好青年同士の衆道がイメージされがちなんですが、がちの戦国時代では若者だけでなく40歳とか50歳のおっさん武将も絡み合います。
この記事の目次一覧
男色の始まり
もともと男色は平安時代に僧侶や公家の間で流行り始めたと言われています。
貴族の子どもがお寺に入り、僧侶の身の回りの世話をするという制度がありましたが、その時の子どもが僧侶の相手をしていたというから驚き。
お寺や寺院では女人禁制のところがほとんどですが、男児相手ならOKという現代ではちょっと考えられない驚くべき考えがありました。
これらの子どもたちは稚児(ちご)と呼ばれ、前髪を長く伸ばして化粧をしたりまるで女性の雰囲気になるよう身なりを整えている場合もありました。
現代ではいろんな価値観が認められてBLも一般化してきていますが、相手が子どもとなると話は別。一瞬で規制されちゃいます。
あくまでも何百年も昔は男色が常識だったという前提をくれぐれもお忘れなく。
戦国時代のBL、男色
時は流れて戦国時代。まさに血で血を洗う男の時代の幕開けです。
この時代、誰もが一度は聞いたことがあるであろう武将がたくさん登場しています。
織田信長のBL、男色
例えば有名ドコロでいうと織田信長。
天下統一の一歩手前にありながら、家臣の明智光秀に殺されてしまいます。かの有名な本能寺の変というやつですね。
この織田信長も男色経験者です。
お相手で有名な人は森蘭丸。
小さい頃から容姿端麗で、信長の大のお気に入りだったとか。
上の画像は織田信長の刀を持って待機している森蘭丸ですが、自身の大切な刀を預け身の回りの世話をさせるほどに関係が出来上がっています。
徳川家康のBL、男色
天下統一を果たし、徳川幕府の礎を築いた超有名な人物です。
家康も実は男色家。
相手は井伊直政というこれまた有名な家臣です。
直政は後に徳川四天王(井伊直政、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政)の1人として数えられるほどの実力武将に成り上がります。
武田信玄のBL、男色
身に付ける武具を全て朱色で統一し、赤備え(あかぞなえ)として恐れられた実力No.1武将とも名高い武田信玄。
志半ばで病に倒れてしまいます。
実はそんな信玄も男色経験ありです。相手は高坂昌信。
これまた幼いころは絶世の美男子だったとかで、信玄もベタぼれでした。
ある時信玄が他の男と男色の関係を持ったということが知れ渡り、それを知った高坂昌信は怒ってしまいます。
その時信玄は高坂昌信にラブレターを送り、「浮気なんてしてない、俺にはお前しかいないんだ」という内容で誤解をとこうとしました。
伊達政宗のBL、男色
独眼竜と称される伊達政宗。
彼は戦国の歴史でも末期に登場する人物ですが、もし信長、秀吉、家康の時代に彼が産まれていたら歴史は変わっていたかもしれないというまでに評価の高い戦国武将として知られています。
そんな伊達政宗も大の男色です。お相手は二代目片倉小十郎を名乗った片倉重長。
このふたりの逸話として伝わるのが、大坂の陣出陣前の出来事。
重長にとって初陣となる大坂の陣で片倉の名を汚さないよう先鋒となることを望んで、出陣の準備に大忙しの政宗を廊下で捕まえ、先陣をきらせてほしいと頼み込んだんだとか。
それを聞いた政宗は重長に濃厚なキスをし、
「お前以外の者に誰が先陣をやらせるものか」
と涙を流しながら語ったそうな。
豊臣秀吉のBL、男色
猿と呼ばれた豊臣秀吉ですが、実は彼はこの時代には珍しく男色はなかったと言われています。
いや、完全に全く無かったのかといわれると自信はないのですが、彼は男らしく(?)大の女性好きとして知られています。
手当たり次第という言葉が相応しいほどに女中に手を出していたことで有名です。
それはそれでやり過ぎな気もするけど・・・
そもそもなんで男?
ここで疑問が湧いてきます。
どうして戦国武将は相手にわざわざ男を選ぶんだろうか?
だって戦国武将といえばその時代のトップに君臨する存在です。
言い方は悪いですが、命令さえすれば女性に困ることはなかったはず。
にも関わらずなんで敢えて男に走るのか?
これは単純にホモだった、子どもしか愛せなかったという武将も少なからずいたのではないか、と推測することはできますが、他にも大きな理由がありました。
それは女性は戦においては不浄な存在と考えられていたということです。
女性は戦に参加できません。
参加できないというか、女性がいるだけで悪とされていた時代でした。
妊婦さんは鎧に触れちゃだめとか、戦の出陣3日前はエッチもだめとか、とにかく戦に勝つことがすべてと考えられていた戦国時代の女性の立場は、現代では考えられないほどに低い時代でした。
だから代わりに容姿端麗な男児が選ばれたという説もあります。
とにかく現代の常識とはかけ離れていた時代だったことは確かですね。
ディープな世界
とはいうものの、戦国武将は男色経験ありといっても現代のホモとはちょっと違います。
男色家は男だけじゃなくてちゃんと女性も相手にしています。
現代で言うところのバイセクシャルだったわけですね。
単純な男好きということではなく、当時は武士のたしなみとして男色が行われていたという話があります。
それに戦国武将の相手に選ばれる子どもとはそれだけ寵愛(ちょうあい)される、つまりお気に入りな存在として認められるということ。
出世街道を一気に登ることができるというわけです。
「どうだい?このカギが取れるかい?」なんてホテルのカギをくるくる回すエロ社長の姿が目に浮かびます。
男色は日本独特の文化で、外国から見るとなかなか理解されないことがあります。
まぁ日本人の僕らでさえ理解できないことなので外国人にはもっとさっぱりでしょうね。
そういうご先祖様たちに生かされて今日の僕達がいるんだなぁと、生きてることに感謝するゆーすけでした。
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