こんにちは、ゆーすけ(@yusuke_plmrstn)です。
僕は2011年3月11日、東京で仕事をしていて被災しました。
あの東北大震災の地震がなければ東北地方に津波はなかったわけで、大鎚町も無事だったわけで、今の生活も大きく違っていたことでしょう。
そんな折、2016年3月8日のYahooトップニュースに興味深い記事が掲載されたのでご紹介します。
この記事の目次一覧
津波被害の痕跡を保存するべきか、撤去するべきか
*Yahooなどのニュース記事はいつかアクセスができなくなるため、記事の一部をスクリーンショットでご紹介します。
3.11の大津波は東北沿岸部を洗い流し、建物はことごとく流されました。
波が引いたあとに残ったものといえば瓦礫、壊れた建物、そして亡くなった方々です。
そしてあれから6年が経過しようとしている今、大勢のボランティアの協力や政府の支援のおかげもあり、復興しつつあるエリアもあります。
しかし以前の生活と比べるとまだまだ足りていない地域はとても多いです。
僕が2014年にGoogleの仕事で訪れた岩手県の大鎚町。
津波被害から3年が経過していたこともあり、町もほとんど復興しているんじゃないかなと思っていた想像は見事に裏切られました。
もちろん車が通る道路はきちんと舗装され、交通に支障はほとんどありません。
しかしちょっと離れた場所や沿岸沿いは当時の瓦礫が残されていたり、壊れた車がそのまま放置されていたり、3年経っても完全復興にはほど遠い印象を当時受けたことを覚えています。
折れ曲がった橋の一部(2014年5月)
そんな中、Yahooニュースが取り上げている問題。
津波被害による痕跡を保存するべきか・残すべきか。
記事の中の平野さん、話の本質を突かれていると思います。
「痛みがあった人は覚えているけど、痛みがない人って忘れていくわけですよ。考えのずれっていうか、感じますよね」
一方で違う意見もあります。
上野さんのご意見。
僕の意見としては、街の復興のためにも痕跡は撤去すべきだと考えます。
でもそのための時期としては今はまだ早すぎるとも考えています。
様々な立場で様々な意見あり
保存するにせよ解体するにせよ、いずれにしても費用がかかります。
十分な復興が進まない中、いつまでも保存することに固執していたらお金はいくらあっても足りません。
さらに次の白銀さんのお話。
ほんとこの点に尽きます。
未だ2,500人近い行方不明者の方々がいらっしゃいます。
この人たちの家族、友人にとって災害はまだ続いているんですよね。
保存・解体の議論の前にまずは少しでも多くの人を家族の元へ返してあげるべきだと思います。
そもそもの話ですが、莫大な費用をかけたことで知られる陸前高田市の「奇跡の一本松」や、岩手県の宮古市にある「たろう観光ホテル」という所、他にも数か所はすでに3.11の震災遺構(震災の記憶を風化させないための取り組み)として保存が決定されているんですね。
だから大鎚町は保存しなくてもいいだろうというわけでは決してありませんが、行方不明者の方々の引き続きの捜索に加え、街を復興していくためにも建設的な議論をして欲しいと思っています。
人は基本的に他人に無関心である
人は周りと同調したり空気を読んだりしてうまくコミュニケーションを取る生き物です。
でも本質的なところをいうと、人は他人のことには無関心です。
自分の身の回りのことに一生懸命で、他人にまで気をまわせる人は本当にすごいなと思います。
例えば僕の事例。
2011年3月11日は金曜日でした。
翌日の土曜日は当時勤務していた愛媛県にある本社で一年に一度の営業発表会があり、それに向けて準備を行っていました。
そんな時に地震が起こったのです。
東京の会社はPCが倒れたりキャビネットが倒れたりしただけで幸い大きな被害はありませんでしたが、ありとあらゆる交通がストップ。
でも新幹線は動きそうだったこともあり、その日はなんとか帰宅して(家に到着したのは日が変わって夜中の2時くらいでした)土曜日の朝に新幹線に乗って愛媛県の事務所まで移動しました。
事務所に着くとちょうど福島原発の事故についてテレビで取り上げられていました。
原発は大丈夫なのか、爆発したりしないか、これからどうなるのか。
東京に住んでいる自分にとっては気が気でなりませんでした。
しかし愛媛事務所の人は「お前たちも大変だな」の一言で終了です。
別に同情して欲しいとは思っていませんでしたが、それでももうちょっと関心を示して欲しかったなと思います。
昨日あれだけの地震があり東京は大混乱、かたや津波や原発の問題で多くの東北の方々が苦しんでいる状況にも関わらず・・・西と東の温度感の差には驚きました。
でも自分も思い当たるフシもある
とまぁ、偉そうに書きましたが、僕自身も何ら周りと変わらない人間です。
立場が違えば僕も同じような態度だったと思います。
例えば都内で大きな交通事故があったというニュースが流れたとしても「あぁ、恐ろしい事故があったんだな」くらいしか関心を示しません。
歩く時はちょっと用心したほうがいいかもね、くらいは思うでしょう。
名古屋で事故があっても大阪で事故があっても「あぁ、そんなことがあったんだ」くらいにしか感じません。
でもそれが自分に関係あることであれば一気に態度が変わります。
自分が事故にあった!家族が事故にあった!知り合いが事故にあった!
自分には関係のない遠い事柄になればなるほど、人は無関心になります。
風化させないためにも
人は他人に無関心。
関心を向けられないことはどんどん風化していきます。
でも福島震災に関わらず、全ての事件・事故は風化させてはいけません。
そのための大鎚町の震災遺構だろうが!と思うかもしれませんが、でも別の震災遺構はすでにあるわけですし、保存にかかるお金と労力があるのであればまずは被災した方々の心のケアと復興に使うべきです。
未来に向けて前向きに撤去を検討する必要があると考えます。
僕は東京で被災した人間ですが、冒頭でちょっと触れたように「よく考えると東北を襲った地震・大津波からもうすぐでまる5年を迎えようとしているわけですね。」という感覚なのです。
完全に忘れることはありませんが、当時あれだけ恐ろしいと思ったこともすでに記憶の中で薄れつつあるのです。
周りにもっと関心をもつことはもちろん大事ですが、今回のYahoo記事のように定期的に問題提起なり現地レポートなりしてもらえるのはとてもありがたいと感じました。
今回の僕の投稿も同じように風化防止の1つとして誰かの記憶に残れば幸いです。
Googleも一役かっている
Googleで僕がストリートビューを撮影した経緯も、震災被害を風化させたくない、後世に残したいという地元の方々の思いがあったからこそ実現したプロジェクトの1つだったのです。
ここでストリートビュー豆知識です。
道路のストリートビューは1年〜2年に1度のペースで再撮影を行っています。
そして古い撮影データはタイムマシンというストリートビューの機能により保存されています。
そして同じ地点でも現在と過去を切り替えて表示することができるのです。
では例えば岩手県大鎚町の旧大鎚役場をGoogleマップで検索してみましょう。
表示されました。
次は画面右下の黄色い人形をクリックします。
ちなみにこの人形はペグマンといいます。
すると道路に青い線が表示されました。
この青い線の所がストリートビューで撮影しているという意味です。
では青い線の任意の場所をクリックしましょう。すると画像を見ることができます。
見慣れたストリートビューが表示されました。
次に矢印で示してある時計マークをクリックしましょう。
これがタイムマシンと呼ばれる機能です。
(場所によってはタイムマシンが機能していないところがあります)
するとこのように白い点とスライドバーが表示されます。
あとは点を移動させて見たい時期に合わせ、画像をクリックするだけでその当時のストリートビューに切り替わります。
この写真では、2年間の間に道路自体にはそれほど変化は見られないけど、2011年に奥にあった茶色いビルは2013年には取り壊されていることがわかります。
さらに道路左側には電線も走っていますね。
このように過去と現在を比べることができる素晴らしい機能で何年も前からあるのですが、大々的に公表することがないんですよね、Google。
もちろんこの機能、東北地方だけでなくて日本全国どこでも見ることができます。
更新頻度が多い都会のほうが多くのデータが蓄積されています。
ぜひ知り合いにも教えてあげましょう!